傾聴は思いやり

前回、国家資格化に伴い最終回となった第49回CDA2次試験対策講習が終わり、めでたく合格された方々に「合格者の声」を書いていただくようお願いしたときのことです。

 

いただいた返信メールを読むのは、講師冥利につきることですが、その中に、次のコメントがありました:

『「こんなにゆったりでいいのだろうか?くらいが丁度いいですよ」という講師のアドバイスで、クライエントの今を尊重しつつ、自然と経験代謝のサイクルを回す支援に向かえる流れができました。』

 

講習が終わってから合格発表まで一か月ほど経っているので、そのようなアドバイスをしたことを殆ど覚えていませんでしたが、このコメントを見てその日は大変良い気分になりました。

 

受講生の方に、どのようなアドバイスを、どのタイミングで、どのような言い方でするのかについて、気を使っていますので、お役に立てたのが嬉しかったです。

 

また、誰かが真剣に聴いてくれることほど、素晴らしい賛辞はないということに、いまさらながら思い至りました。

こちらが人の話を傾聴するということは、相手にしてあげられる最良のことの一つだとも思います。

 

というのは、傾聴することで、「あなたの話すことをよく聴いていますよ。あなたのことだけに今、注意を払っていますよ。」と相手に言っているのと同じで、相手を大切に思っていますというメッセージを伝えることができるからです。

 

残念ながら、雑な聞き方というのは日常のいたるところでみられます。

先日読んだある記事によると、社員が残念だと思うマネージャーの行動に関するアンケートで、なんと7割もの人が「マネージャーがこちらの言うことをよく聞いていない」を挙げたそうです。

プライベートな場面でも、相手の言うことを真剣に聴いていたアツアツのカップルが、結婚して何年か経つと、一方が話している間、もう一方はスマホをいじっていたりします。

 

なぜ傾聴できないようになってしまうのでしょう?

ひょっとすると、自分が話すということは、こちらがパワーを持つ行動であり、逆に聴くという行為は何か弱い、相手に服従するような行動だと思う傾向があるのかもしれません。

 

でも実際のところ、真の力は傾聴にあります。

本当に誰かに対して傾聴するとき、相手はこちらに良い感情を持ち、こちらが話をするときには、より聴いてくれるようになります。

 

ぜひ、傾聴スキルを高めていきたいものです。

せっかくの相手にしてあげられる最良のことを捨ててしまわないように。